世界の気になるクリエイティブ情報を紹介するジャーナル雑誌“QUOTATION”が創刊。
クリエイティブという視点で捉えたら、きっと世の中のものが違うように見えてくるだろう。
創刊号に掲載されている、TOMATOのメンバーとして活躍している長谷川踏太氏のインタビューが素敵だったので抜粋。
「デザイナーの人はインプットをデザイン書籍のみからしていてはダメだと思っていて。他のデザインを参考にしても、結局それより劣化したものしかできないだろうし。違うところからインスピレーションを持ってこないといけないと思う。どこから持ってくるかと、頭というかセンスを使う所からデザイン作業だと思っているので。デザイナーの書棚が本屋のデザイン書コーナーのようになっていたりすると少しがっかりする。奥行きがある人は、性格的魅力、人間的魅力、作品の魅力にもつながっている。勝手に流行ってもいない小説を読んでいたりとか、そういうのが作品には直接は出てこないけど、なにか関連しているんだろうなって思いますね。聞いている音楽とか、見ているグラフィックとか。サイトでお気に入りのグラフィックを見つけて、俺もこういうのを作ろうってなると、結果としてアウトプットが一緒になってしまう。世界的に散らばり具合が、表面がなめらかというか、均一になってきていますよね。」
「生き物としての計算というか、幸せ感のモノサシみたいなところで、日本では、やはり職人的にひとつの道を極めた人のほうが偉いということになっていますよね。芸のためなら女房も泣かすじゃないけど、自分がどうなったら幸せかよりも、デザイナーとしてはこうしないといけないという所を優先させるというか。そういうストイックな世界には、女房を泣かせないでやれる仕事はないのか?という発想はないじゃないですか。職人のような突き詰め方ってとても厳しい道だけど、でも、なにをやらなければいけないか悩まなくてもいい。自分がデザイナーだと決めてしまえば、日々デザインについて考えてたがんばれば安心して暮らしていける。でも、そうじゃない人は、逆に毎日悩むから、心の筋肉の使い方が違う。バランスボールをしているみたいで、決してどっしりとはしていないけど、何があっても対応できる。これからの時代は幸せに生きていくために、ふわふわとして、あえて決めないで生きていくほうがいいのかなと思う。あえて、自己のアイデンティティーを確立しないというか。職人的に詰めていくよりも自分は何をするべきかと悩んでいる人のほうが、クリエイティブな面では想像できないものが作れるんじゃないかな。でも、そういう偏執的というか職人的な努力の積み重ねがないと、実現し得ない成果というのがあるわけで、日本のきめの細かい食やサービス業なんかは、それが出ていますよね。美味しいお寿司とか、ダイヤきっちりの電車とか、全て素晴らしいんだけど、人類が幸せに生きていくためにこれって本当に必要なの?って思ってしまうことがあるんです。そういうクオリティーの高いものたちが生み出されるために犠牲になっているものがあるはずで、それが人の心だったりするのかなと考えたりすると、美味しいお寿司を食べてても、ちょっとおっかなくなるんですよ。自分の幸せ度、自分がやって充実するのだったらやるけど、そうじゃなかったらやらないというか。お金とか名声とかそういう外的な要素だけでなくて、自分の野生の勘みたいなところで、何をやるのかやらないのか判断しながら、今後も生き続けていきたいです。」